道徳教育

道徳教育は、社会全体で分担する必要がある。
例えば、公園でタバコを吸っている中学生が居たら、大人は注意しなければいけない。
見て見ぬふりをして通り過ぎてはいけない。
見て見ぬふりをした大人は、社会から制裁を受けねばならない。
しかし、現実的には見て見ぬふりをする人も多いのではないか?
中学生が集団で居て、自分より体が大きかったら注意できるだろうか?
最近の中学生は歯止めが利かないから、集団で逆ギレされたら何をされるかわかったものではない。
そのように考えると、見て見ぬふりをしたくなるのは人情である。
中学生はいくら体が大きくても中学生である。
自分の胸くらいしか背丈が無いおばちゃんにだって頭が上がらないものだ。(本来は。)
しかし、大人に対して何の敬意も抱いていない中学生は、教養の無いおばちゃんの言うことなんか聞かない。
人は自分の命を守る権利がある。たとえ道に叛いたとしても自分の命の方が大切。こう考えてしまったらもうおしまいだ。あとは道をどんどん外れていくしか無くなってしまう。
水谷先生のように、自分の命を削ってまでできることではない。
結局、大人たちからも道徳心が無くなってしまったのだ。
道徳心を無くした人たちがコアとなって運営している社会に道徳心を持った人が生まれるわけが無い。いや、生まれる可能性はある。水谷先生のように。しかし、孤軍奮闘となってしまう。水谷先生のような先生がぽつぽつと居る状態だけでは、とても社会の崩壊を防ぎきれない。

道徳的に綻びた社会を修繕するにはどうしたらよいか? これが目下の私の課題である。