ヘソ出しルック

1970年代前半頃までは、真夏になると、オヤジがランニングシャツの裾をまくってヘソ出して外を歩いているのをよくみかけたものだが、今では殆ど見られなくなった。今、そのような姿を目撃すると、不快感を催すと思う。昔は、ヘソを出している女性は、例えば山本リンダに代表されるようなセクシャルアピールを前面化した芸能人に限定されていたが、今では、通常の若い女性のファッションの一種として定着している。例えば、ふんどしのように臀部を大きく露出するようなファッションが、将来定着化したら、そのうち見慣れてしまうのだろうか? そういえば、祭りの男性や、相撲取りが臀部をさらしていても、特に違和感を感じない。人の服装を見て感じる感覚は、どこから来るのだろう。
「違」「和」がキーワードだろう。自分の中に「和」という基準があり、これは、その時どきの社会環境によって与えられる。公衆浴場で全裸は当たり前だが、一時期の中高生は、修学旅行の際に水着で入浴することがあったらしい。水着が「和」なら全裸は「違和」だし、全裸が「和」なら、水着は「違和」だ。自分の中の「和」と照らし合わせて、ずれていると感じるとき「違和」と感じるのだろう。
自分が普段「和」にどっぷり浸かっていることを思い知らされる経験である。
特に「生理的」な現象は、「和」に左右されやすい。