行動のエネルギー
人はなぜ行動するのか?
嫌な状態から逃れるため?
現状に満足していれば、行動する必要はない。
現状に不満があるから行動するのか?
何か違うような気がする。
例えば、ゴミためのような場所に居るとして、それが自分の部屋だとして、
不愉快だと思うので片づけをするのか?
いや、しないだろう。自分の過ごすプライベートな空間であれば、
多少の不都合は目をつぶるものだ。
自分の部屋を片付けなければならないのは、どういうときか?
人を招くときであろう。
他人に不愉快な思いをさせないために、自分ひとりなら許容のものを、
他人に合わせて閾を上げるのだ。もちろん、他人の閾値などわからないから、
想定される範囲で上の方に上げて置かざるを得ない。
共空間についてもその原理が働く。
(未完)
男女共同参画社会について
社会とは、男女共同でつくるものではないのか?
男女が協力しあって作るのが社会だというのに、なぜ 男に女の仕事をさせ、女に男の仕事をさせようとするのか、理解できない。
少なくとも、男性は子を産むことは絶対にできない。
子を産むのは女性の仕事だ。社会を営む上で、根本的な基本的な仕事だ。
それを担っている女性が保護されずに、男性と同じように働くことを求められる社会なんて、はっきり言っておかしい。
逆説的な物言い
どんなことでも逆説的な物言いはできてしまう。
どんなことにでも逆説的な物言いでひっくりかえしてしまうのは、
逆に何も言っていないのと同じである。
皆が幸せになるための方法
自分のことも満足に考えられない状態で、
全人類が幸せになる方法など考えられるはずもない。
だから、今幸せでない人は、まず自分を幸せにすることを
考えるべきだ。
そして、少し余裕が出てきたら、身の回りの人の幸せも
考えてあげるようにしたらよい。
気力回復
気力を回復させる方法
気力が無いときは、何もする気がおきない。
すると、益々何もする気が無くなっていく。
この悪循環により、気力が衰退していく。
ここで歯止めがきかない場合、自己の意味喪失感にとり憑かれ、
最悪のケースでは、自殺に至る。
では、どうしたらよいのか?
私の場合、むりやりにでも何かするようにしている。
何もする気力がおきないときに、むりやり何かするのは苦痛だが、
それでも何かできたことが気力の呼び水となる。
この場合の注意点:
「何か」とは、比較的簡単でやりやすいものであること。
気力が落ちているのだから、普段どおりのことはできない。
難易度を下げて、できそうなことをすることだ。