娯楽

生きるためには、娯楽も必要。本当か?
娯楽とは何か?
「娯楽とは、人の心を楽しませ、慰めるものである。」(by wikipedia)

逆に、心が楽しみ、慰められている状態なら、娯楽は必要ない。
「野口(英世)はいつ眠るのか?」
「研究が私の娯楽だ。」(と言ったかどうかは定かではない。)

行動のエネルギー

人はなぜ行動するのか?
嫌な状態から逃れるため?
現状に満足していれば、行動する必要はない。
現状に不満があるから行動するのか?

何か違うような気がする。

例えば、ゴミためのような場所に居るとして、それが自分の部屋だとして、
不愉快だと思うので片づけをするのか?

いや、しないだろう。自分の過ごすプライベートな空間であれば、
多少の不都合は目をつぶるものだ。

自分の部屋を片付けなければならないのは、どういうときか?
人を招くときであろう。
他人に不愉快な思いをさせないために、自分ひとりなら許容のものを、
他人に合わせて閾を上げるのだ。もちろん、他人の閾値などわからないから、
想定される範囲で上の方に上げて置かざるを得ない。
共空間についてもその原理が働く。

(未完)

政治に対する意識

政治とは、政治家がやるものである。
政治に対して、一般大衆があれこれと口出しすべきではない。
そんなことしたら、衆愚政治に陥る。
だから、政治は政治の専門家に任せておけばよい。
いや、もっと積極的な意味で「任せる」べきだ。

という意見があるが、私は賛同できかねる。
私の感覚は逆で、政治家は、市民の代表として
国政の場で意見を述べてもらうために、市民が主体的に選ぶものである。
あくまで市民が政治の主体と考えるのだが、
私の考えは、世間の一般常識とは反しているのだろうか?

男女共同参画社会について

社会とは、男女共同でつくるものではないのか?

男女が協力しあって作るのが社会だというのに、なぜ 男に女の仕事をさせ、女に男の仕事をさせようとするのか、理解できない。

少なくとも、男性は子を産むことは絶対にできない。
子を産むのは女性の仕事だ。社会を営む上で、根本的な基本的な仕事だ。
それを担っている女性が保護されずに、男性と同じように働くことを求められる社会なんて、はっきり言っておかしい。

皆が幸せになるための方法

自分のことも満足に考えられない状態で、
全人類が幸せになる方法など考えられるはずもない。

だから、今幸せでない人は、まず自分を幸せにすることを
考えるべきだ。

そして、少し余裕が出てきたら、身の回りの人の幸せも
考えてあげるようにしたらよい。

気力回復

気力を回復させる方法

気力が無いときは、何もする気がおきない。
すると、益々何もする気が無くなっていく。
この悪循環により、気力が衰退していく。
ここで歯止めがきかない場合、自己の意味喪失感にとり憑かれ、
最悪のケースでは、自殺に至る。

では、どうしたらよいのか?
私の場合、むりやりにでも何かするようにしている。
何もする気力がおきないときに、むりやり何かするのは苦痛だが、
それでも何かできたことが気力の呼び水となる。

この場合の注意点:
「何か」とは、比較的簡単でやりやすいものであること。
気力が落ちているのだから、普段どおりのことはできない。
難易度を下げて、できそうなことをすることだ。